今年はどんな年だったの?
2005年12月31日 日常
2005年。
私の2005年。
私の身に潜む心の時計が、
カチッと音を立てたような気がします。
レミオロメンの存在が大きいと思います。
私がこのバンドの名前を覚えたのは、
いつのことだったでしょうか。
実際に見たことも聴いたこともないのに、
好きになる予感がしていたのです。
でもその時すでに、私の体は、
私の心に応えられない状況でした。
音楽もそうですが、
全般的に私という人間は、
心を揺らしてくれる存在と、
同じ瞬間を同じ空間で感じ、同じ光景を見ていたいのです。
私がこのバンドの存在を知った頃、
彼らの拠点はまだまだ下北沢のライブハウスでした。
私には行けない場所…。
2003年夏、彼らのメジャーデビュー直前。
かつて一緒にバンドを組んでいた友人に、
「レミオロメン良いよ〜。」
と追い打ちをかけるかのように、吹き込まれたのをよく憶えています。
好きにならないように必死でした。私。
店頭に並ぶCDを手に取っても、棚に戻し、
ジャケットを見てお終い…に何度してきたことでしょう。
この頃は、あの人がプロデューサーに就くことさえ知らず。
2004年春、Mステ初登場。TVの前で緊張した記憶があります。
その夏、イベントに「YUKI・レミオロメン」の名前があり、
代々木体育館に行く決意をしました。
なかなか遅い、ライブデビューでした。
それからは、ここのブログに書いてきた通りです。
巷で彼らの名が通るようになった今、
どこか『下北のレミを見ておきたかった』という思いも生じますが、
レミオロメンがステップアップしてくれ、
かつて私が訪れたことのある場で音を鳴らせるようになったからこそ、
私は彼らのライブに足を運べた・飛び込めたのだと思います。
だから、約一年前、藤巻さんが鹿野さんに語った「デカくなりたい。」
を私は応援したいと思います。
あのラジオからの声が忘れられません。
そして、私の内の不安よりも音に触れたい気持ちを引き出し、
行動範囲を拡げ直してくれていることに感謝します。
2005年は、今の私なりに、それなりに、
動けた…。外を見ようとした…。
……。
「負けて帰ってきても上等、行ってみろ!まずドアを開けろ!!」
という年だったと思います。
ほんとに〈カチッ〉だよ。
まだ秒針です。
長針が振れるにはまだまだです。
私の2005年。
私の身に潜む心の時計が、
カチッと音を立てたような気がします。
レミオロメンの存在が大きいと思います。
私がこのバンドの名前を覚えたのは、
いつのことだったでしょうか。
実際に見たことも聴いたこともないのに、
好きになる予感がしていたのです。
でもその時すでに、私の体は、
私の心に応えられない状況でした。
音楽もそうですが、
全般的に私という人間は、
心を揺らしてくれる存在と、
同じ瞬間を同じ空間で感じ、同じ光景を見ていたいのです。
私がこのバンドの存在を知った頃、
彼らの拠点はまだまだ下北沢のライブハウスでした。
私には行けない場所…。
2003年夏、彼らのメジャーデビュー直前。
かつて一緒にバンドを組んでいた友人に、
「レミオロメン良いよ〜。」
と追い打ちをかけるかのように、吹き込まれたのをよく憶えています。
好きにならないように必死でした。私。
店頭に並ぶCDを手に取っても、棚に戻し、
ジャケットを見てお終い…に何度してきたことでしょう。
この頃は、あの人がプロデューサーに就くことさえ知らず。
2004年春、Mステ初登場。TVの前で緊張した記憶があります。
その夏、イベントに「YUKI・レミオロメン」の名前があり、
代々木体育館に行く決意をしました。
なかなか遅い、ライブデビューでした。
それからは、ここのブログに書いてきた通りです。
巷で彼らの名が通るようになった今、
どこか『下北のレミを見ておきたかった』という思いも生じますが、
レミオロメンがステップアップしてくれ、
かつて私が訪れたことのある場で音を鳴らせるようになったからこそ、
私は彼らのライブに足を運べた・飛び込めたのだと思います。
だから、約一年前、藤巻さんが鹿野さんに語った「デカくなりたい。」
を私は応援したいと思います。
あのラジオからの声が忘れられません。
そして、私の内の不安よりも音に触れたい気持ちを引き出し、
行動範囲を拡げ直してくれていることに感謝します。
2005年は、今の私なりに、それなりに、
動けた…。外を見ようとした…。
……。
「負けて帰ってきても上等、行ってみろ!まずドアを開けろ!!」
という年だったと思います。
ほんとに〈カチッ〉だよ。
まだ秒針です。
長針が振れるにはまだまだです。
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