今日は、ジョン・レノンの誕生日ですね。

TAKUROや岩井俊二って、命日の12月8日にひっかかるようだけど、
私は、ジョン・レノンというと10月9日なんですよね。
ダコタ・ハウスやストロベリー・フィールズよりも、
やっぱり、リバプールだからかな。

なんて、綴っていると、ジョンのファンのようだけど、
そうではありません。
彼の思想・言動を肯定できない部分は多いですし。

ただ、好きなミュージシャンらを辿っていくと、
ビートルズ、ジョン・レノンに行き着くことが、しばしばで、
30〜50代の現役ミュージシャンを通して、
私にも繋がっているのだと思う。


2005年10月9日。
ずーっと幼い頃から我が家にあった、ガラス越しに見ていた、
【イマジン】というVHSを初めて手に取った。
父が単身赴任から戻るまで時間も無いことだし。
勝手に見てやりました。

先妻とか、その息子のインタビューも入ってて、
「すげーな」とか、そんな見方で始まったんですが、
ジョンとヨーコの出会いのシーンがとても印象的で衝撃的で…。

ヨーコの展覧会で、脚立を上って、虫眼鏡で覗いた天井の壁に
描かれていた文字は「yes」。
ジョンはインタビューで、
その言葉が、「no」「くたばれ」だったら、会場から出ていただろう。
でもそこにあったのは肯定の「イエス」。
と答えていた。

GLAYファンなら知っている、TAKUROの右腕の内側のタトゥー「yes」。
『その時その時の自分を肯定してあげたくて…。』
とどこかで答えていましたよね。
私は今日までそこまでしか知らなかったんですよ。本当に。
実際、GLAYは売れるまでも苦しいし、売れてからもっと苦しかったから。
もっと、あの【赤のyes】は深かったんですね。
実は数年前、オノ・ヨーコ×TAKUROの対談がラジオで流れた時、
小野洋子さん、好感を持てなかったのね。
でも、久保琢郎にとって凄い出来事だったことに、
今更ながら気づきましたよ。


で、1988年に制作されたVHSに戻りますがね。

平和運動の1つの表現でもあった【ベッド・イン】。
有名なので、何度か見てるはずなのに、
「GIVE PEACE A CHANCE」、
ギター掻き鳴らしながら歌われると、その映像にグッとくるね。

最後に…。
最後になぁ〜、このビデオやってくれるんだよ。
エンドロールと共に「IN MY LIFE」。

私、ビートルズでこの曲がとても好きなんだよね。
詞はなんだっていいんですがね、
音と声に根拠も無くホ〜ッとするんです。
この曲聴くために、毎週「恋文」ってドラマ見てたし。

拝啓、真心ブラザーズ。
タイトル借りました。
今年、ジャパンフェスで、歌った「拝啓、ジョン・レノン」。
M-ON TV!頼むから、流してくれ。
知らない方は、ヤフーミュージックで検索して詞、読んでみな。



あっ。
あたし…82年生まれのジョン・レノン、知ってる。
ジョン・レノンって失礼か。
ま、読んでない読んでない。
書いちゃえ書いちゃえ。

拝啓、82年生まれのジョン・レノン。
あなたは私が見た中で、最も足の動きの激しいドラマーです。
どんだけ足上げんだよってくらい、体を縦に揺らす画が、
今も思い出されます。
一言で、あちい(先輩風)。
くれぐれも、カード等の重要暗証番号は誕生日を避けて下さい。
気をつけて下さい。危ないよ!!
ジョン・レノンと同じ限り、10.09の並びは忘れないんで(笑)。

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