GLAY デビューから12回目の5月25日
2005年5月25日 GLAYGLAYさん、昨年度は本当にお疲れ様でした。
そして本日、デビュー11周年です。
…ちょっと語ってみますか。
90年代中盤まで、極端な性格の私は、
『ドリカムとミスチル以外音楽じゃない』
と本気で思っていました。
特にヴィジュアル系ってヤツは大嫌いでした。
ミスチルファンとしては、GLAYも単にその塊の一部でした。
97年に入ってすぐMr.Children活動休止。
その心の隙に侵入してきたのがGLAYでした。
大嫌いな物や人に心動かされてしまうと、
人間は大好きに180℃反転するんですね。滑稽なほどに。
そして彼らにライヴってものを教えてもらう訳です。
病み付きになる楽しさ・熱さが存在する空間を知ってしまう訳です。
しかし、パニック障害が再発してからというもの、
01年、02年は1回。03年は2回。
とライヴに行く回数はどっと減りました。
けれどポジに考えれば、0回な年はありません。
あの頃はGLAYにしがみつくのに必死でした。
掴んでいた手を離したら、絶望しか残らないから。
04年秋、母と私の間でこんなやりとりがありました。
(前日の日記のように毎回私には予期不安が襲うことを受けて…)
母:「気持ち悪いならライヴなんか行かなきゃいいでしょ!」
私:「じゃあ、GLAY以外誰が外に連れ出してくれるワケ?!」
母:「…(逆ギレする娘に絶句)」
今でこそ、YUKIだ・レミオだって言ってますが、
すべてはGLAYが牽いてくれたレールだと思っています。
ライヴに行く目標が無ければ、
今の私も藤沢に閉じ篭ったままです。
ライヴという生き物の魅力を教えてくれたGLAYに感謝しています。
けれども、10代の頃のように
がむしゃらに彼らを追いかけたいとは思いません。
心に響かない曲も増えてしまった。
でも何処か私の細胞に存るような…
DNAに刻まれてしまったような…。
…GLAYは、もはや私の好奇心の域を超えたのだと思います。
【暗闇を駆けぬける勇気をくれたのはあなたでした】
(「HOWEVER」)
そして本日、デビュー11周年です。
…ちょっと語ってみますか。
90年代中盤まで、極端な性格の私は、
『ドリカムとミスチル以外音楽じゃない』
と本気で思っていました。
特にヴィジュアル系ってヤツは大嫌いでした。
ミスチルファンとしては、GLAYも単にその塊の一部でした。
97年に入ってすぐMr.Children活動休止。
その心の隙に侵入してきたのがGLAYでした。
大嫌いな物や人に心動かされてしまうと、
人間は大好きに180℃反転するんですね。滑稽なほどに。
そして彼らにライヴってものを教えてもらう訳です。
病み付きになる楽しさ・熱さが存在する空間を知ってしまう訳です。
しかし、パニック障害が再発してからというもの、
01年、02年は1回。03年は2回。
とライヴに行く回数はどっと減りました。
けれどポジに考えれば、0回な年はありません。
あの頃はGLAYにしがみつくのに必死でした。
掴んでいた手を離したら、絶望しか残らないから。
04年秋、母と私の間でこんなやりとりがありました。
(前日の日記のように毎回私には予期不安が襲うことを受けて…)
母:「気持ち悪いならライヴなんか行かなきゃいいでしょ!」
私:「じゃあ、GLAY以外誰が外に連れ出してくれるワケ?!」
母:「…(逆ギレする娘に絶句)」
今でこそ、YUKIだ・レミオだって言ってますが、
すべてはGLAYが牽いてくれたレールだと思っています。
ライヴに行く目標が無ければ、
今の私も藤沢に閉じ篭ったままです。
ライヴという生き物の魅力を教えてくれたGLAYに感謝しています。
けれども、10代の頃のように
がむしゃらに彼らを追いかけたいとは思いません。
心に響かない曲も増えてしまった。
でも何処か私の細胞に存るような…
DNAに刻まれてしまったような…。
…GLAYは、もはや私の好奇心の域を超えたのだと思います。
【暗闇を駆けぬける勇気をくれたのはあなたでした】
(「HOWEVER」)
コメント